《無防備最強説》心地良い世界を日々創り出してゆく「態度発信」とは?

わたし達の心は抵抗します。あれは嫌だ、認めない、許せない、耐えられない。楽しさ、愛しさ、美しさ、などの肯定的な事を感じたり、行っている時ですら、裏ではその逆の事を意識していたりもします。その抵抗が、本当は望んではいないことを創り上げている事に氣付いていたとしても、どうしても抜け出せないという事が多くあるのではないかと思います。

抵抗とはなにか  


マインドを持たない、動物、植物、水や山河は、ただ在るだけで全てを行っています。完全に無防備であり、受け入れており、流れています。人が同じようなところから始めるにはまず無防備になること。ただ自らの欲する所を為し、自然体に、在るだけで他を助けている状態です。 

「抵抗」とはマインド、つまり「自我」だけが作り出すもの。マインドはイメージにより小さな世界を作り上げ、その中でだけ存続が可能な存在です。そしてそれは、「ありのままの真実」では無いため、簡単に傷くし、否定されることで世界が崩れてしまうために、その世界に則さない事実を提示された時に過剰に反応したり、あるいは見ないようにします。 

「ありのままの真実」は傷きません。真実はただそこに在るだけなので、傷つくという概念すら無いからです。たとえば、「あなたは死んでいる」という、抽象的な言葉で否定されたとして、ショックを受けて傷つくのは、わたしのマインドです。マインドはその言葉からあれこれと妄想し、自らの不調和な部分や、至らないと思っている部分を引っ張り出してきて、色々空想して傷つきます。 

しかし、「わたしは生きている」という真実は揺らぐことがなく傷つくことがありません。マインドの未だ存在しない小さな子どもが「あなたは死んでいる」と言われてもきょとん とするか、それをネタに遊びに変わってゆくだけでしょう。 

抵抗を掘り下げる 

 

抵抗の根底には、「自分が否定されているという思い」があります。 

それは存在の否定であり、自分が今までやってきたことの否定、在りようの否定。価値観の否定、立場上の不都合などで、攻撃されていると感じること。 

でも、本当に攻撃されているのか?というと、それすら自分で創り上げているのです。相手に敵意がZeroの場合ですら、意見や見解が違うというだけで、否定され攻撃されている氣分になります。「攻撃されたら守る」というようなオートメーションの思考回路が当たり前の概念としてわたしたちのアタマの中に植え付けられています。そして、その思考回路がマインドの本体であり、わたしたちの本質から主導権を奪ってしまっている。これも抵抗の一つです。 

どう在れば抵抗が無くなるのか?という発想をする。 

 

抵抗が現れた時点で、その抵抗が《本来の自分の(命としての)在り様》とは異なる部分として反応していると、判断していいでしょう。ネジ曲がった観点が自分の中にあり、それが抵抗を生んでいます。本来の曇り無い観点、より心地良い在り方、スムースで創造的な捉え方とはどのような感じでしょう?どう対抗しよう、どう反論しよう、どう戦おう、どうコントロールしよう?と考えるのではなく、無数にある観点から「抵抗がZeroに近い観点を探すこと」です。そのように行えば、自分の在りように対する抵抗が無くなり、物事がスムースに調和的に運ぶようになります。 

 

激しい感情を伴う否定は❝過敏なマインド❞である。 

 

否定が悪いわけではありません。各々の価値観は厳然として存在しています。わたし達が生きているこの次元において全てが一つになることはあり得ません。だからマインド(自我)が無い状態もあり得ないのです。否定を無くすことなどは不可能だと思われ、付き合ってゆくものですから、《否定をどう肯定的に使うか》という事を考えましょう。これが抵抗がZeroに近い観点です。つまり、否定に破壊的な感情を伴わずに、ただ「ありのままの和多志として在る」ということ。そのやり方は、人を認めよう とか、平和にあろう とか、調和しよう 自分を愛そう とか、その時の自らの在りようと心境によってどんな考え方でも良く、各々にベストなやり方、つまりマインドの使い方があるのです。 

❝無防備❞で行こう   


 

 

「いつどこから来るか分からない何かから身を守る」「大切な物は守らなければ」「危険は何処に潜んでいるかわからない」

 

という態度は、身を守るべき事柄を一分一秒作り続ける❝態度発信❞です。態度発信とは、ようは「在り方」による無意識の発信の事で、他の何よりも最も重要です。例えば反戦争を訴えながら、知らず戦争支援企業の商品で生活をしていたり、子どもの散らかった部屋を怒りながら、親は全く片付けていなかったり。例えば言葉の使い方をスピリチュアル法則的にいくら変えていても、態度と在り方が変わらなければ、根底は何も変わりませ

 

ん。言葉で引き寄せの法則や愛を行いながら、根底では「恐れから由来する防御態勢」があるということです。 

無防備で在るということは、自分が感じたこと、思ったことの表現をためらわないことです。ためらう事は、例えば誰かに対してのセルフイメージを保ちたい、嫌われたくない、というような恐れから来る防御があります。 
表現をためらうその背景に何があり、それが何を存在させていて、これからもその継続を許してゆきたいのかという事です。  

❝態度❞で創り上げる心地良い❝在り方❞

 

「完全に調和した平和な世界」があるとすれば、それは今の世界に存在するあらゆる抵抗が存在しない世界です。平和な世界とは、わたしたちが無防備になることで実現される次元です。世界は皆そこに向かっており、様々な方法がありますが、最終的にはそこにたどり着いてゆくのだと思います。  

無防備であること、裸であることは、「わたしは何からも身を守る必要がない」「わたしを傷つけるものは存在しない」「全てを受け入れる」という表明です。(実際はそのような言葉も浮かびません)それは内的宇宙へ安心感を強烈に発信する態度です。自分という存在と世界に対しての完全な信頼と安心を表明しているのです。 
預けて、ゆだねている、赤子のような在り方。それが腑に落ちて生活の中で体現できてくると、今まで受けていた抵抗がウソのように無い世界が展開してきます。恐れを手放し、自らの存在と、変化に委ねることで、恐れや抵抗のない世界に入ってゆくのです。 

「問いかけ」で新しく世界を創造する 

 

「わたしはどのように在る事が心地良いのだろうか?」この問いかけが、自分の創り出す世界を心地よいものにしてゆきます。問いかけとは、広大な無意識領域という「宇宙的検索エンジン」に、検索ワードを入力するようなもの。この検索エンジンには癖があり、「しない、無くす、やりたくない、イヤだ」などの否定系ワードは自動で「肯定する形」に変換されます。つまり「したい、存在させる、やりたい、好きだ」に勝手に変換されるようになっています。ですから「どうすれば怒りが無くなるか?」「どうすれば争いが無くなるか?」「どうすれば欠乏から逃れられるか?」の検索では、さらに怒りと、争いと欠乏を作る結果になります。 

自分の中に抵抗(小さな世界)が現れたとき、「何が抵抗しているのだろう?」「抵抗の無い新しい観点はなんだろう?」と問いかけます。その答えはアタマ(自我)で考えないで下さい。 
望ましい、心地良いイメージと言葉を日々探しながら常に「問いかけ検索」を行ってゆく事。 それは自らの全く新しい在り方を創り、日々が楽しく展開してゆくでしょう。 

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ABOUTこの記事をかいた人

ヒーラー、身体論者。日本の伝統「丹田」平和の精神を日々の「蹲踞ワーク」で復活させる。丹田を元にした《Taneda Healing》考案者。実験的オルタナティヴ精神の新世代ヒーラーを自負しています。自らがADHDと知らずに克服後それを知る。「ありがとうございますはZEROの言葉」年内出版予定と言いながら、なかなか進まない。あ、これか。LINEで無料ヒーリング氣まぐれに開催。