テクノロジーは身体でできている。身体を知り自分をアップデートする。

身体の語源 “カラタチ”


 

カラタチ とは、「空が立つ」という意味で、「カラダ」というコトバの語源だと言われています。

「空っぽ=ゼロ」のモノが立っている という事ですね。

かつて、カラダとは、空っぽの容れ物であるという認識だったんです。

 

そもそも昔「カラダ」という言葉は死体を表しました。

逆に命がある身体を「身」(ミ)と表現したのです。

果実も「ミ」と呼びますね。ぼくたちは「命の実り」でもあります。

 

空っぽのカラダに、「イノチ」が宿って「ミ」となる。

ぼく達の本質は、カラダに宿る「イノチ」です。

それは「魂」といってもいいし、「神」「宇宙」「自然」と表現しても良いのだと思います。

 

ですから、この「身体の声」を理解して、

大切に耳を傾けるようにして付き合ってゆくことで、

「自分自身のゼロ」→本当のわたし

つまり、ありのままのあなたの状態に戻ることができます。

 

そのためには、日常とかけ離れたような、辛く厳しい修行はしなくても大丈夫。

考え方、視点を変えて工夫することで、いつでも、どこでも気軽に身体と向き合い

あなたの感覚と、あなたの身体の機能を高めて、生まれ持ったポテンシャルを発揮することができるようになります。

 

ただ、毎日の生活の中で、すこし意識と視点を変えて、身体と向き合うことを取り組んでゆけばいいんです。

このブログでは、そんな「カラダからの発想」や氣付き、方法論などを発信してゆきます。

一緒に心と身体と魂の冒険を楽しみましょう。

 

身体から引き剥がされる


 

人、動物、虫、植物、全ての生命、誰もが持っているこの身体。

あるのが当たり前の存在だから、深く考えるまでゆかない。

でも、あるのが当たり前の身体が無い状態は、不思議なことになんとなくイメージが出来ますよね。

意識だけの幽霊になったような感じです。

 

カラダとは一体何なのでしょう。

ただただ忙しい日常に追われて、考える余裕はない。

価値をうまなきゃ、生活を維持しなくっちゃ、働かなくちゃ

そうして、いつまで経っても空白が生まれないので、ぼくらの思考は外の世界に釘付けです。

カラダから意識が引き離されてしまっている。

それが今のこの社会なのだと思います。

 

Photo by Josh Riemer on Unsplash

テクノロジーは身体から生まれた。


 

カラダには沢山の性能があります。

世の中に存在する全てのテクノロジーは、

全て身体に備わっている性能を元にして作られているといったら驚きますか?

 

パソコン、機械、電話、車、自転車

ハイテクから、ローテクまで、沢山あるものを「ヒトの創造物」として一括りに考えてみましょう。

 

ヒトは機械に、ヒトの仕事をより円滑にさせるため、新しい可能性を広げたり、

ヒトの代わりに仕事をしてもらうために「モノ」を創造します。

 

自分の頭の中のイメージや、音を他の人に共有できるようにしたのが、テレビであり、オーディオです。

感動した風景、目でシャッターを切った一瞬の景色をシェアすることを、カメラが実現し

それに時間の経過とサウンドがつき、よりリアルに体験をシェア出来るビデオが生まれました。

人は、感動した体験をそのまま誰かと共有することに喜びを感じるように出来ているから、それが原動力になりました。

 

Photo by Thomas Q on Unsplash

 

そして人類史上最も偉大な発明とも言える、パソコン。インターネット。

インターネットはまるで人の集合意識の図書館にアクセスしているようなもの。

全人類に共有されたデータベースにアクセスし、

キーワードを問いかけて、情報(答え)を検索。

他の人が用意した返答が「ダウンロード」される

考え方や、情報を身振り手振りで話して「アップロード」する。

この発想も脳の記憶の性質や、人のコミュニケーションからのものですね。

 

全ては人の持つ性能が源泉なんです。

逆に言えば、自分の中に存在しないものは、発想することすらできないはずです。

 

 

カラダは緻密な「生命の構造体」


 

このように、全てのテクノロジーは人の「感覚器」や「身体性能」を発想の大元としています。

見る、自分の状態や感情を発信する「目」

音を聴き、空間を感じ、記憶する「耳」

触り、繋がり、創造する「手」

空間、振動、湿度や、雰囲気を感じ取る「皮膚」

動物的カン、方向感覚を司り、自己認識にも関わる「鼻」

 

この五感がそれぞれ関わり合う事で、より感覚情報を立体的にし、感情へ昇華し、表現(アウトプット)までする

ぼくたちの身体はそんな奇跡のような性能を持っています。

 

この身体に優る機械はこれからも創造されることは無いでしょう。

 

病や痛みがあなたの可能性を制限する


 

まさに「神の創造物」という表現に相応しい「カラダ」ですが、現代はあまりに多くのストレスがあります。

身体にストレスやダメージが蓄積し、「凝り」「しこり」「病」として

身体本来の可能性を制限する形で残ってしまうようになりました。

 

たとえば、肩が凝り、胸の筋肉が収縮し閉じてしまえば

呼吸が浅くなり、余裕がなくなって心が塞ぎ

外の世界に対してオープンで無くなります。

オープンハート、あけっぴろげな方は、胸が開いています。

 

言いたいことを我慢すれば、喉が内側から絞まるような感覚が出てきます。

そういう時は、やたら咳がでる事があります。

カラダが喉の絞まりを緩めようとしているのです。

 

 

 

心と身体がズレた時に病となる。


 

このように、心とカラダは分け隔てなく繋がっているので

「思考」が心と身体から離れた判断をする事で

咳とか、痛み、違和感や不快感として出てきます。

 

それに氣付いてすぐに従えば、それは解消されます。

氣付かずに、無理や我慢をし続ける事で、「コリ」「シコリ」果てには「病」として

カラダに定着してしまいます。

 

カラダはストレスに対して”苦しみ”という感覚でぼくらに伝えることで、

「何かがおかしいよ」とか「我慢しないで」と伝えてくれています。

病や苦しみは、身体を通じて表現された、【本当のあなた】からのメッセージと言えます。

 

身体を理解して人生を楽しみ尽くす


 

このように、身体の問題とは、『本当のわたし』からズレた時に、問題として提示されたものです。

それは今まで生きて来た人生の中で、根深いものとなって残っているものもあります。

  • インパクトのある体験から来るトラウマであったり、
  • 幼いころの体験、両親との関係や家庭環境であったり
  • 間違った思い込みであったり、繰り返される習慣から来たモノであったり。

 

そうしたものを昇華して、制限のない、心地のよい身体になることができれば、

氣付かぬままに閉じていた感覚が蘇り、自分を思い通りに表現することができ、

より鮮明で、美しさと感動に満ちた日々を体感できるようになるんです。

まずは身体の感覚を無視せず、感じてゆくことから始めてゆきましょう。

 

 

 


 

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ABOUTこの記事をかいた人

オンライン専門のボディーワーカー/身体研究家。20代の頃、自己肯定感の低さから鬱病に。さらにアダルトチルドレンも発覚。自分の出来の悪さを呪い苦しんだが、才能は身体感覚から開けるのではないか?と氣付き、探求し、うつ病とACを自ら克服。様々な場面で独自の感性とクリエィティビティを発揮できるようになる。整体師時代に、独自のセラピーメソッドを確立しそれを身体開発/自己啓発メソッドに昇華。「あたらしい心とからだの使い方」にて伝えている。代表コンテンツは、唯一無二の「蝶形骨の使い方メソッド」著書:ありがとうございますはZEROのことば(Galaxy Books)