怖さを選んでゆく。

今日の朝、久々の知人からの連絡があった。

 

「ちひとさんの歌を歌わせてほしい」

 

という。まだ寝起きでボケっとしていたので、顔を洗ってきます と
一階に降りて顔を洗い、コーヒーが飲みたいなと思いながら、
とりあえずお気に入りの白いブラウスを羽織る。

 

彼女は以前箕面の「ユイチル畑」に何度かお子さんを連れて遊びに来た。
箕面の知人だ。ユイチル畑は、今は僕が開催していたワークショップも終わり、
この界隈のつながりの友人たちの共同農園になっている。

 

初めて会ったときの印象はもっと控えめで薄いイメージだった。
あれからSNSで、路上ライブの映像などをアップして活動をされていた。
彼女は普通の主婦で、路上ライブなんて恥ずかしいし怖いそうだ。
でも《 怖いからこそやっているのだ 》 という。

 

ビデオチャットが始まると、彼女は公園にいるようだ。
ウクレレを弾いてくれるのだろうか と思うと、楽器はない。

アカペラだ。

 

人が通る公園の中で、アカペラでスマホの向こうにいる僕に歌ってくれた。

 

それは歌詞のない、ロングトーンのハミングのメロディだった。
その場で僕の印象を感じながら即興で歌ってくれる。
お世辞にも上手とは言えないのだが、なんというか伝わってくるものがあった。
それは「お腹」で感じてお腹から出て来る表現。

 

お腹は、ハラ 《 丹田 》だ。

 

彼女はそれを「おなかのひと」という。
彼女は僕に何か不思議なシンパシーを感じるらしい。
それはなんだかわかる。
彼女が「同類」だという事は薄々感じていた。

 

そして、箕面で会おう、踊ろう という展開になった。

 

公園で踊ろう、歌おう(歌うのかよ…踊るのかよ…:心の声) ということだったが
「いいこと思いつきました」と 予定が変更になり、駅前のステージで
ということになった。いいですよ、ではスマホで音楽でも… 
ということで、アフロダンスミュージックをかけて踊る。

 

実は僕は普段たまに鏡の前で一人で踊っている。
踊りであり、身体の実験であり、身体ほぐしでもある。
表情筋も全部使って、「ちのみち」を通すのだ。

 

実は人に踊りを見せたいという欲求もちょっとあったので、
とても楽しかった。
恥ずかしいこともなく、むしろ通行人が少ないので
うーん もっと見てよ くらいの気持ちになっていたのだが

 

怖さや恥ずかしさが無いと意味がない

 

ということだった。

あ、それが狙いだったのか

 

と思った。でもなぜだろう?

 

怖いことを、恥ずかしいことを積極的に選択してやってゆく

すると、思い描いたことや夢がかなったり、豊かになってゆく

 

という

そこですぐ腑に落ちたのが、怖いこと、恥ずかしいことはその人にとっての最大の壁だ。
多くの人は、何かを守るために、怖さ、恥ずかしさを避ける。
富や成功を築いたなら、それを守りに入る人も多いだろう。

 

でも、

守りに入った瞬間に衰退してゆく 

成長し続ける以外に道は無い 

ということを、経営関係の記事で読んだことを思い出す。

 

未知とは、恐怖の対象となりえる。
成長とは、安定ではない。むしろ不安定の事だ。
成長途中は常に不安定、変化しているからだ。
成長が一通り済むと安定期が来る。
そこで人は一息をつくことができる。

 

だから僕は不安定期が来たときは、「成長期に入った」
と言うことで自分を安心させる。そしてトンネルを抜けた先にいる新しい自分に想いを馳せるのである。

 

《 怖さ、恥ずかしさ 》
というのは、その「成長」や「発展」のありかを示しているのだろう。
人の心は面白いもので、なぜだか壁を感じる物事の向こうに宝を隠している。
例えば嫌いな人や、許せない物事の先にあるもの。

それはそれは大きな財宝なみの成長がそこにはある。
そこにはみずからの勇気を持ってしか、たどり着く事はない。

 


 

 

では、僕はどうだろう?今の僕の怖いことはなんだろう?

と思う。

思い返せば、なんだかんだでぼちぼちやってきた
自分探し ならぬ 「自分壊し」

 

人はセルフイメージが壊れることや、
それによって誰かから嫌われるとか、
居場所を失うことに大きな恐怖を感じる。
多分それが現代人の一番大きい恐怖だ。
だから「インスタ映え」を代表するSNSでセルフイメージを作ることは
その部分を満たす。

 

人前で踊るのは怖くなかった。
恥ずかしくもなかった。
まあ昔はストリートでライブもやってきたのもあるから、
それは自慢できることでも無いのだけど 
多分人が多いところでも何回かすればすぐ慣れるだろうなと思った。
(やりたいかどうかは別の話として)

 

街ゆく怖いお兄さんにガンをつけにゆくことか?
それは怖い。一歩間違えば殺されるかもしれない。
なし崩しに臓器を売られてしまうかもしれない。

 

怖いけどその方向に眠る財宝にはあまり魅力を感じない。

怖いこと

 

しばらく面白いテーマができたなと思った。

 

そして僕が何より知りたいと思ったことは、
皆はどうして自分に向き合っているのだろう?という事。
自分が何をするべきか?
自分がどう思っているのか?

 

怖いことには?トラブルがあったときには?

 

なにか、人としての自分を見直す時にどう向き合っているのだろう。

 

怖さに立ち向かってゆく そう決める時に、どういう出来事があって
どう自分を持ってゆくのだろう。

知りたい。教えてほしい。

 

自分の「おなかのひと」と向き合って
怖さと恥ずかしさを選択してきた彼女は以前より生き生きして別人になっていた。

 

── そんなことを赤裸々に語り合えるような場が、
誰もが必要としているのでは無いかと思ったのである。

 

著者のダンス!本邦初公開!笑 (ダンサーではありません)

 

彼女が「おなかのひと」と向き合う取り組みをはじめたのは、
こちら。僕は未参加ですがリンクを貼らせて頂きます。とても興味深い方です。

ことわりさづけ 小嶋 道広

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ABOUTこの記事をかいた人

20代の頃、自己肯定感の低さから、鬱病を発症、同時にアダルトチルドレン(AC)も発覚。自分の出来の悪さを呪い苦しんだが、才能はからだの感覚から開けるのではないか?と氣付く。結果うつ病とACを自ら克服。同時に自己肯定感と安心感が生まれ、自由な心となり様々な場面で自力を発揮できるようになる。その経験をもとに、整体+メンタルセラピーの施術で心と身体の関係を学んだ。15年に渡る心(思考)と身体(身体感覚)の探求を、メルマガや講座で「あたらしい心とからだの使い方」として伝えている。 書籍:「ありがとうございますはZEROのことば」2019年夏出版予定