誰もが辛い感情から逃れたいと思い、自分を傷つけたり、自問自答したり、いろいろな本を読んだり、セラピーを受けたり、瞑想をしたりと、いろいろな試みをしています。
しかし、「これが私」「自分のもの」と思っている❝感情❞が自分ではなかったとしたらどうでしょう?

わたしたちは常に考え、感じ、生活をしています。一説によれば、1日に六万回も思考しており、しかもそのほとんどが過去のことだそうです。しかしその思考が❝どこから来ているか❞を考えたことがあるでしょうか。それは全て自分が創り出して居るものではなかったとしたら。

──2018.4/13 内容を大きく追記、訂正しました。

 

記憶は遺伝する

 

わたし達が生まれてくるまでに、様々な経験を詰め込んだDNAがあります。細胞の中にはに色々な記憶と情報が入っています。特に水には“情報を記録する“働きがあります。

DNA研究の世界的権威であり、ノーベル賞受賞者の、リュック・モンタニエ博士(パスツール研究所)の実験により、DNA情報を、電磁波情報として水に転写することができ、さらにその転写されたDNAの情報は、最物質化が可能である。という研究結果が出ています。希釈したDNAの入った水のビーカーの隣に、何も入っていない純水のビーカを一定時間おいておくと、その情報が転写され、それを特殊な反応液で増幅する事により、98%同一のDNAが同量複製されるというものです。そして、DNAの微弱な電気信号を、音声ファイルとしてバックアップし、それを純水に聞かせることでまた同様の結果が得られ、さらに、DNAの電磁波情報を発している溶液に、ヒト培養細胞を漬け込んだところ、数日後、ヒト細胞の中にそのDNA情報が複製されている事が確認されました。
(参照:リュック・ モンタニエ博士の 「水によるDNA 情報の記憶」実験
株式会社 I.H.M.  

こうして、物理的に肉体レベルで刻まれたものが「記憶の遺伝」です。前世を見るような人はこの細胞の記憶も読み取っているのでしょうか。
──ですがいずれにしろ「自分の先祖の記憶」「前世(=全生)の記憶」であり、「今を生きるわたし」の記憶ではありません。

最近は人気漫画の中でこうした表現が増えていますね。
大ヒット映画「君の名は。」も、記憶をテーマにしているところがあります。過去と未来で時空を超えてやり取りされる記憶。

過去の記憶

 

自分が今までしてきた経験の中での、苦い思い出、ショックな出来事、学んできたこと、習慣として身につけてきたこと。これまでに構築してきた概念、思考のルート。「自分はこんな人」「あの子はこんな子」「こうしたら、必ずこうなる」など過去の記憶、固定観念。これも「今、を生きるわたしの記憶」ではありません。そして、「今この瞬間の真実」で無く、「これからも続いてゆくもの」なのかもわからない事です。

もしそれが好ましく、心地よく、いつまでも持っていたいものなら良いですが、重く、不快であり、縛り付け、早く逃れたい、変わりたい、手放したいものであるなら、早いこと手放すべきです。

人の思考のうち殆どが過去の事を考えていると言われています。
しかし、わたしたちは今しか生きられません。
今、この瞬間しか生きられないのに、過去の記憶を今に引っ張り出してきて、そこでうんうん唸っているのです。

《本当のわたし》の視点

 

本当のわたし とは、感情、思考、感覚ではなく
それに氣付き、味わって、楽しんでいるそのもの。つまり「氣付き」こそがわたしたちの本体です。
「氣付き」は、映画館にいるような感じで、スクリーンに映る感情、思考、感覚、を経験として、楽しんで観ています。どんな苦しみ、悲しみ、痛みでさえ超客観的に観て味わっているのです。

しかし、現実にスクリーンの中のアクターである僕らは痛みもありますし、苦しみもあります。惨めな氣持になったり、投げやりになったり、逃げ出したい氣持だって湧いてきます。
でも、そんな風に僕らを囚えてしまう、思考、感覚、感情に対して、この「氣付き」の視点から光を当ててあげることで、冷静に、ありのままを、クリアに味わい、極力禍根を残さずに、なるべく速やかに「学び」を完了することが出来ます。

過去の自分は今の自分とは違うものです。

細胞は代謝し、数年もすれば全て入れ替わり、全く新しい体になっています。
しかし、過去から遺伝して引き継いだ記憶や思い、それに付随する感情は残っています。
本来はそれも代謝されるべきものですが、「自我」がそれを掴んで離さないから、ずっと残り、綿々と引き継がれてきたわけです。

実は「自我」の正体は、過去の記憶の積算物であり、過去の記憶そのもの。
そして苦しみは全て「過去を今に引っ張ってくること」により表れてきます。

問いかけの方法

 

その自我に対して、氣付きに近い視点から呈する言葉が、

──これは誰の記憶?
──これは誰の思い?
──これは誰の感情?
──これはいつのわたし?
──今のわたしは、だれ?
──今のわたしは、どう在りたい?

「今感じている苦しみは、誰のもの?」「本当に❝今この瞬間のわたし❞のものなのか?」「その思い、感覚は持っていたいものなのか?」という意味も含んでいます。

静かに感情、感覚、思考を見つめながら問いかけて下さい。
「不快な記憶や感覚そのもの」である自我は、その問いかけにより消えてしまうため、嫌がって抵抗します。それでもなお、冷静に見つめて下さい。そして、「ありがとうございます」と声かけをしてあげます。感謝とねぎらいの氣持ちで、調和させるのです。

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心が乱れたとき、身体に違和感、不快感がある時。
その感情、思考、カラダの感覚に対して、問いかけてみて下さい。

 

※この記事はアクセス=コンシャスネスの素晴らしい知恵「問いかけ」から氣付きを得たものです。

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ヒーラー、身体論者。日本の伝統「丹田」平和の精神を日々の「蹲踞ワーク」で復活させる。丹田を元にした《Taneda Healing》考案者。実験的オルタナティヴ精神の新世代ヒーラーを自負しています。自らがADHDと知らずに克服後それを知る。「ありがとうございますはZEROの言葉」年内出版予定と言いながら、なかなか進まない。あ、これか。LINEで無料ヒーリング氣まぐれに開催。