断捨離。モノの支配から、魂を自由にする

箕面の空

モノに溢れた世界で

 

物、物、物物。
世の中はモノに溢れている。

誰が着るとも知れない大量生産の服。
ワーストからベストまである食べ物、無限にあるような玩具、年々機能が増える電化製品、車、こどもたちの未来や自然の事を考えずに乱立する35年ローンの家、空き家だらけのマンション・・それらは、その全てに持ち主が現れることはない、という前提で作っている。

一体僕たちはいつまで作り続けるのだろうか。

断捨離という言葉が流行ったのはもう一昔前。今では沢山の書籍が出ていて、言葉を知る人も増えている。

“沢山あること” それが”豊か”だったという時代。それはもう過去の価値観になっている。現在進行系で。

いかに安く、易く作り、早く提供するか、そうしていかに利益を、数字を出すか。そのために労働力をいかに安く手に入れるか…そんなシステムが当然かの如き経済的風潮であった時代。価値の薄い物に溢れ、モノから人の温もり温かみが消えたからだ。

“創造物”であったモノが、空っぽの”消費物”へと化したのだ。

そんな冷たいモノ達に囲まれて、その生産に大なり小なり携わって暮らしているから、なんというか、心もすかすかになり、生活に豊かさが無くなってしまったのではないかと思う、現代人。

誰もが豊かな氣持ちで居たいはず。それにはまず、「手放すこと」そして新しく構築することだ。それも、自分にとって大切なものだけで。では、なぜ断捨離が良いのだろうか。

 

断捨離に隠された意味

 

モノが限りある思考のエネルギーを奪う

沢山物があれば、色々な時に対応できるから、安心。そんな思いがあるかもしれない。

確かにそんな面もあるが、所有するモノとは、持ち主のエネルギー(意識)を得ている。 だから無駄にモノが多いと、その分持ち主のエネルギーが奪われる。

例えば、洋服。沢山の洋服があると、今日は何を着たものか、迷った経験が誰でもあると思う。持っている洋服をイメージすることができるだろう。春物の上着はこれだけ…下着がどれだけあって…

そんな風に、所有しているモノが、思考の領域にまでも存在しているのである。 言ってみれば、思考の領域の一角を専有している。貴重な場所を取っているのだ。

そしてそれには限りがある。

 

モノが少ないとエネルギーが無駄にならない

では、もし服が二〜三着しかなかったら?短い旅行に行ったときのことを思い出してみると良い。持っていける服は限られている。寝床から置きて朝に、何を着るか迷うことはなくなるだろう。そして、普段なら洋服に悩むエネルギーを全て、旅を楽しむことに使うことができる。他に考える事がないのだから。

 

「決断する」という莫大なエネルギー消費

 

人が最もエネルギーを使うこと。それは「決断すること」
なにも家を買うとか、本命の恋人をどちらにするとか、大きな決断のことだけではなく、

日常のあれこれ、今日は何を食べるか?沢山あるペンからどれを選んで買うか?外食をどの店舗でするか?そんな小さな決断で人は沢山のエネルギーを消費する。

アップル社の故・スティーブ・ジョブズはいつも黒い洋服を上下で着ている。それしか持っていない。それは彼が決断に消費するエネルギーの大きさを知っており、それを節約するためだという。世界のトップ大企業を率いる代表としては、他の大きな決断のためにエネルギーを無駄に使えないということだろう。やること、目指すところが決まっているということは、自らのエネルギー、命の使い方が決まっており、他に迷うことがない。それはとてもシンプルで、幸せなことだろうと思う。

そんな雲の上のセレブでなくとも、僕らがネットショップで何かを選ぶ時、例えばアマゾンで、どこのメーカーのものが良いのか、どこが安いのか、スペックは?生産国は?レビューは?楽天とどっちが安い?オークションサイトか?フリマアプリか? とか

そんな事を延々とやっていると、とても精神が消耗するような感じを味わったことがあるのではないだろうか。買い物好きな方はそれでも楽しいかもしれないが、延々とそれが続くとどんどん苦痛になってきてしまう。

では、もし選択肢が少なければ。選択肢を狭めてしまうのはどうだろう。

 

「モノからの支配」から脱することが”エコ”の本質。

 

僕は旅暮らしをするようになり、荷物はもともと少なかったが、さらに自分の持ち物を見直した。どうしても手放せない大切なモノは実家にストックするわけだが、それも極限に縮小した。
僕の旅は人の家にお世話になるスタイル。鍋や布団、家具などは滞在先にあるものを借りることになる。だから所有の必要がない。

リュックに入るものは限られているから、洋服も点数を少なく、機能性と着あわせを重視した物を厳選する。あまり薄い色の服は汚れがすぐ目立つので持たない。

下着は麻やオーガニックコットンのふんどしだ。これはすぐ乾くし干しやすいという利点もある。トランクスなどゴムの下着はカラダに良くないので買わない。すでにこの時点で、物を選択する条件が限られている。

 大切なことは、「モノに選ばれる」のではなく、「モノを選ぶこと」

自分の条件をまず明確にして、それに一致するモノを探すこと。すると選択の幅が狭まり、エネルギーと時間のロスが無くなる。決してブランドや、新製品や話題に振り回され「モノに選ばせる」のではない。それはまさに「モノに支配されている」と言っていい。

持つものが少ないから、当然あまり安っぽかったり、どうでも良かったりするものは持ち歩きたくない。服にしろ、他の必需品にしろ、自然とそれなりにこだわったものを買いたいという氣持ちになる。

選択肢が少ない そうすると、決断にエネルギーを使わないばかりか、それ以上に無駄な選択肢 無駄な買い物をするということが自然と無くなるのだ。

すると、最初に記したような、大量生産の物が買い物の選択肢から外れてゆく。これが「エコ精神」の最も根本的な部分では無いかと思う。

 

沢山、と、一つだけ。

 

旅暮らしはちょっと特殊かも知れないので身近な例を。僕の母はものが捨てられない人だった。 幼い頃からとにかくものが多くて、どこの引き出しを開けてもモノが詰まっていて奥が見えないのだが、整理していると、奥からまたハサミが出てきたりする。

ようは全く管理ができていないのだ。自分の家に今何本のハサミがあるか、把握していない。何処にあるかも分からない。だからどんどんハサミが増えてゆく。当然そんなハサミは百均であるような安っぽいものだ。愛着など湧きようがない。

例えばこれが職人が作った、一本一万円するような高級なハサミを買ったならどうだろう。

どこかのデパートの手作りコーナーで、ひと目で惚れて買った、道具というよりは作品と呼ぶべきもの。思い入れもひとしお。しかも使えば使うほど味が出てきて、切れ味も抜群。自分で研いだりできるし、手入れして大切にしたら、ひ孫の代までいつまでも使えるような逸品だ。

そんな素敵なハサミなら、置き場所を決めて、大切に管理するだろう。すると、 思考のエネルギーが一本に絞られ、拡散しすることが無くなる。 ハサミを使いたい と思った時に脳裏に浮かぶのはこの一本だけになるのだから。

そうすると、100均のどうでも良いハサミには、もう目が行かないはず。無くすこともなく、どうでも良い安物をぽつりぽつりと買ってしまうことは今後無いだろう。さて、このハサミの一万円という価格は果たして高かったのだろうか?

 

魂のこもったモノを大切に使う。

 

モノに溢れているこの世の中。その理由の一つは、そうしたモノへの思い入れ、愛着が減ったことではないかと思う。現代は、取り組まないといけない物事が多すぎる。選択し、決断すること。すると自然と他の選択肢に掛けるエネルギーは限定される。それが心の貧しさとして、安いだけで中身の無い物が溢れるという事象になっていないだろうか。

こうした無駄な買い物は、心の隙間を埋めるために買っている事も多い。

でも視点を変えて、自分が本当に欲しい、例えば食器なら、ずっと使いたい食器を、自分が必要なだけ買えば。ずっと飽きないものは、必然的にシンプルなデザインになる。そういうものは、昔ながらのデザインだったりする。伝統工芸品には、いつまでも使いたくなるような味がある。

職人が魂を込めて作った工芸品。職人でなくても、好みのセンスの作家さんが作ったプロダクト。飽きのこない、研ぎ澄まされたデザイン。そういうものも愛情を持って使って行けるものだ。同じ作家さんから仕入れれば、統一性が出るから、組み合わせも楽だし、それを並べた食器棚の見た目も落ち着いて洒落た雰囲気になる。それを見ているだけで、満足した、豊かな氣持ちになる。だから、それ以上に余計なものが増えない。

物が多いことの健康面への影響

ものが多い部屋に居るだけで、実はかなり思考が乱れ、消耗することがわかっている。

これがエネルギーを取られるという現象だ。片付けの苦手な知人の、散らかった部屋に行った時、イライラしたり、早く帰りたくなったり、疲れやすかったりしたことはないだろうか?

たとえばタオルをキレイに畳んだ状態と、ぐちゃっと無造作に置いた状態。その状態を筋反射テストで比較すると、無造作に置いた状態では筋力が弱まる。だから疲れやすい。集中しづらい。実際にフィジカルに影響が出ているのである。無駄なモノに囲まれていることで、健康面にも影響があるという事が実証されている。

 

断捨離でなぜ人生が動き出すか?

 

断捨離とは、自分が好きなもの、心地よいもの、必要な物以外を手放すこと。

そうすることで、今までモノに奪われてきたエネルギーが自分に戻ることになる。 不要なモノを思い切って捨てることで、モノへの執着も薄くなる。

多くの人は、所有しているものを自分を同一化している。それに氣付いていないのだ。 そこをおして、「断って、捨てて、離れる」だから運気が変わる 人生が動き出す。

 

そして何より大切にしたいことは、「モノに縛られない」、「最小限の自分になる」 ということ。これは今までの「余分な自分」を大きく見直しているということだ。

本当は何が無くとも、人は生きて行ける。そこにあるものでなんとか、やりくりしてゆくことも出来る。それを可能にするのが、”智慧”というものだろう。

 

大切なものをあげたら、手放しが伝搬したこと。

 

僕が旅暮らしの為にモノをさらに厳選して整理をしていたとき、ただ捨てるのはもったいないモノがあったので、Facebookで知人に呼びかけて、不用品市ををしていた。お陰様で沢山の物が、それを必要としている人たちの元に旅立っていった。

その時に、知り合いの小学生の男の子が、知人を通して「太鼓が欲しい!」と言ってきた。

「ジャンベ」というアフリカの革太鼓。小さくて持ち運びやすいサイズのもの。うちに遊びに来た時、それを叩いて愉しんでいた。

楽器は、旅には持っていけないけど、ずっと使ってきたもので、大切に思っていたので、初めは断っていた。

しかし、荷物を整理するにつれ、「もういいかな」という氣持ちが湧いてきたことと、彼ら(小学校低学年と高学年の兄妹)になら使ってもらいたいと思い、思い切って持っている打楽器を全部プレゼントした。ジャンベ、カホン、シェイカー、クラベスにトライアングル、シンバルとシンバルスタンドも、全部あげた。Y先生からその話しを伝え聞いて飛んできた彼は、喜びに言葉を失い、とてもキラキラした目で楽器を二人で運んで行った。
僕はその様子を微笑ましく見ていた。

その後、彼らの母親からSNSにこんな事を投稿してくれた。

ちひとさん、
先日は宝の山を子どもたちに譲ってくださり、ありがとうございました。

私がここのところ体調が悪くて、子どもたちとようやく畑に行けた日、Y先生と出会い、太鼓の話になりました。
その前日、ケニア太鼓のパフォーマンスを観たばかりだったので。
「ちょーかっこええ!オレも太鼓欲しい!」とゆうきが盛り上がってました。

また私が寝込んでた間に、Y先生⇆ちひとさんで、
「太鼓あげたら?」「太鼓はだめ」というやりとりもされてたと。
たまたま庭で遊んでたゆうきに、Y先生が「ちひとさん、太鼓あげるって!」

もちろん飛んで行って、あの日はとっても喜んでました。
でも、その後、(あの)ゆうきが考えてました。(😳!)

ちひとさんが、ひとにあげたくなかったくらい、大切なもので。
それでも、ゆうきにくれたから。。。

宝物として大切にできるように、場所を作ることに決めました。

(ほんとにひっどい)ぐっちゃりだった部屋が、二日である程度片付きました。

それでも。
いらないものを捨てても、大切なものだけで棚がいっぱい。。。

大切だけど、今は使ってないものを、お兄ちゃんと一緒に、手放すことに決めました。

「砂袋は絶対いるやろ!」
「あ、つみきはあかんわ。リリアンも…。やっぱ、あげる!だいじやけど、いいわ!」

おもちゃたち、ずっと楽しみに待ってた小さないとこのところへ行きます。
今、キレイに洗って、かわかしたところです。

大切なものを、受け取ること、手放すこと、手渡すこと。
教えてくださって、ありがとうございます。

ちひとさん、Y先生に感謝してます🙏✨

 

その後の投稿で、この断捨離ブームが親まで飛び火し、今大整理をしているという。

そんな事になるとは全く予想もしないが、人のモノに対する想いが、こんな風に伝わってゆくことに驚きを覚えた。僕もその事に学ぶことができ、感謝をした。大切に使ったモノは、そのはたらき以上のモノを、人に伝えてゆく。 だからこそ、大量生産のものではなく、丁寧に人が手作りをした、「想いの籠った創造物」が良いのだと実感した。

 

“手放す事” は ”宇宙に安心感を放つ”事。

 

自分以外のなにか、例えば野生動物は財産を守るために命を捨てることはない。人は野生動物ではないが、命は同等だ。本当はこの命、身一つだけで、完璧なのだ。そこを見直すことで、この終わらない消費社会が変わるのでは無いかと思う。 何よりこの魂を、モノと一緒くたにしてしまうことは、誰も望まないのではないだろうか。

魂を喜ばせてくれるようなモノを楽しみ味わいたい。
何も囚われない。心はいつも自由に。
たとえば、一糸まとわぬ、裸の姿、赤ん坊の姿になったとして、 それまでと変わらない自分で、安心して、凛として存在できるようにいたい。本当に必要なものは、何もなく、必要なものは、実は全て在るのだ。そしてそれは、それを肚(はら)のそこから信頼し、安心して自らの運命にゆだねた先に、天が用意してくれている。

その為の学びを、「モノ」という存在が教えてくれているのではないだろうか と思う。

 

智人(理屈屋)



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《旅の療法家、身心宇宙研究家》 ありがとうございますはZEROの言葉。日本中のありがとうをZEROにしたい。全てを癒すマインドフルネス「ありがとうございます瞑想」を伝えています。心身医学、野口整体施術者。体を解き放つ⇔心を開放する。“人生が変わる施術”を志して。旅の滞在先、施術会、お話会開催者随時募集中!呼んで下さい* 応援、よろしくお願いします*