ウサイン・ボルト氏の言葉。目的意識の原点を探る。

つがいのイルカ

 

人類最速のスプリンターともいわれる、ジャマイカのウサイン・ボルト選手と

日本の陸上界の宝、桐生祥秀選手との対談です。

スピードを保てばいいのに、さらにスピードを上げようとしている。

大事なことは、トップスピードに乗ったらフォームを保ち、スピードを維持することだ。

多くの選手は、トップスピードから、さらに速くなろうとする。

それでは、速度にテクニックが追いつかず、逆に遅くなってしまう。

トップスピードに乗ったら、それ以上は速くならない。

だからといって「その記録を超えよう」と焦ってはいけない。

速く走ることばかり考えて、逆に遅くなる選手はたくさんいる。

速く走ろうなんて考えるな。「自分の走りをすることだけ」を考えたほうがいい。

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また、自らが走り続ける理由を「走ることは楽しみであり、情熱だから」と語ったボルト選手。

インタビューの最後に、こんなメッセージを桐生選手や日本に対して贈ります。

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最後に1つ、いいかい。日本の陸上界にいいたい。

桐生にあまりプレッシャーをかけないでほしい。

いいか、桐生。自分のために走れ。それが国のためになればいい。

まずは『自分のために走る』。そして『楽しむ』

それが日本のためになるんだ。決して国のためだけに走ってはだめだ。

引用元:liivedoor NEWS

 

早く走ろうとすれば、するほど、遅くなってしまう。

うまくやろうとすればするほど、うまくいかない。

意図すれば意図するほどズレてゆく。

頑張るほどに、空回り。

スポーツで無くとも、だれしも経験があることではないでしょうか。

 

何に価値を置くのか?

 

ボルト氏は「トップスピードを保つ」「自分の走りをする」事を話しています。

対して、「もっともっと早くなろう」、「限界を越えよう」とすることで

却って遅くなってしまう。

人類最速の方の言葉は説得力があります。

 

ボルト氏の価値は

ファンや国の期待に答える事や、数字を追い求めることでは無く

あくまで「自分の走りをする」「自分が愉しむ」事を価値に置いています。

それにより、むしろ逆に、自己ベストの更新などの良い結果が出るのです。

 

内側を観るか外側を見るか。

 

前者の価値は自らの「内側」にあり

後者の価値は自らの「外側」にあると言えます。

 

内側の価値は、自分の中心に軸を作る事と同じ。

外側の何者にも影響されません。

そこにあるのは「自らとの対話」だけです。

 

外側にある価値は、外側に軸を作ること。

期待に答える 数字を出す がっかりさせたくない

傾けて寄っかかる軸です。

そこにあるのは、終わりのない「依存関係」です。

 

外側に価値を求めることで、自分の内側、本当に求めることが

見えなくなり、力みが発生し、言い訳や、仮面を形成するのです。

 

外側に価値を求めることで、軸がズレると、体幹の筋肉「インナーマッスル」が使えなくなり、

「早く、もっと早く」の意識は「アウターマッスル」の力みを発生させ

パフォーマンスは落ちてしまいます。

頑張れば頑張るほど上手く行かないのは、これが理由です。

 

 

自分に何故?を問うこと

 

私は何故、走るのか?

何故、これをやるのか?

何故、やりたいのか?

自分でやっているのか?

何かにさせられているのか?

何か分からない力に、突き動かされているのか?

 

お金のため?

名誉のため?

愛されたいから?

嫌われたくないから?

自分を愛したいから?

自分のため?

人のため?

地球のため?

先祖のため?

子どもたちのため?

過去のため?

未来のため?

 

大切なことは、沸いてくる「欲求の出処がどこなのか」を、

自分なりに見つけること。自分で納得することです。

 

人は関係性の上に成り立つ

 

私が「私」 と思っている存在は、実は他の人が居なければ存在できません。

「人間」とは、他の人との関係性の上に成り立つ ということを意味します。

 

何もない、真っ暗な空間に、

自分1人が存在するイメージができますか?

光もありません、言葉もまだ、ありません。

地球もない、宇宙もない。

─私はイメージできません。

存在のしようが、無いものはイメージができないのです。

そこには「私の輪郭」すらも見当たりません。

 

闇があって、光は光となり、

男があって、女は女となる。

子どもがあって、親は親となり、

教え子がいて、教師となる。

助けられる人がいて、助ける人が存在する。

 

対立するもの、向き合うもの、比較するもの、関係するもの

その存在があって初めて、全ては存在ができます。

存在に意味が、「価値」が生まれるのです。

 

「私」とは記憶である。

 

私が「私」と認識しているのは、「記憶」です。

そして、その「記憶」は他者の存在をなくしてありえません。

線と線が交わって初めて「点」が生まれます。

ですから

誰かがいないと、記憶は生まれ得ないのです。

「点」(個)だけでは存在できないのです。

つまり、「私」とは、他者との関係性(交わり)の上にのみ存在する

ということになります。

 

ですから、イエス・キリストは「汝の隣人を愛せよ」と言いました。

 

「自分ではなく、隣人を大切にすること」

 

それは己の外側に価値を置いているように思えますが

隣人…人だけでなく、大地、自然、手元のカップ、部屋、空氣。

私に関わるすべてのモノ・コトこそが、

私という存在とのクロスポイントであり、

存在の故であるからです。

 

目的意識の原点で生きる

 

自分の生きがい、やりがい、楽しみ、

これはとても大切な事です。

今は旧来の、自分を殺して「滅私奉公」という社会風潮から転じ、

「自分を愛する」「ありのままの自分で」という風潮になっているのを感じます。

 

ですが、その行き着く先に、「隣人を愛する」というゴールがあること。

それがとても大切な軸になるのだと思います。

 

「誰かのために、自分を100%発揮すること」

「誰かの為に、生ききること」

 

そのビジョンを描くこと

それが、本来の自分以上の可能性を引き出し、

自分も周りも「仕合せ」にする

新しい「目的意識」であるのではないかと思います。

 


 

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つがいのイルカ

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ABOUTこの記事をかいた人

オンライン専門のボディーワーカー/身体研究家。20代の頃、自己肯定感の低さから鬱病に。さらにアダルトチルドレンも発覚。自分の出来の悪さを呪い苦しんだが、才能は身体感覚から開けるのではないか?と氣付き、探求し、うつ病とACを自ら克服。様々な場面で独自の感性とクリエィティビティを発揮できるようになる。整体師時代に、独自のセラピーメソッドを確立しそれを身体開発/自己啓発メソッドに昇華。「あたらしい心とからだの使い方」にて伝えている。代表コンテンツは、唯一無二の「蝶形骨の使い方メソッド」著書:ありがとうございますはZEROのことば(Galaxy Books)