感覚的に生きる人に魅力を感じるのはなぜなのか。感覚的な生き方にシフトするためのヒント。


 

感覚的な人に憧れたり、好きになる。恋に落ちてしまう。誰でもそんな経験があるのではないでしょうか。

 

感覚的な生き方をする人には不思議な魅力があります。

 

破天荒な生き方をする人。
考えが読めない人。
常識はずれな人。

漫画やアニメの主人公や、映画のヒーロー、ヒロインで描かれるようなキャラクター達は、一般常識や論理を外れ、「感覚を生きる人」の人生を描いていると言えます。

 

彼らに共通しているのは、今を楽しんで生きていること。

そして、自分を曲げない生き方をしていることです。

僕も、10代20代の頃は、そんな漫画やアニメのキャラクターに憧れました。

 

頭でっかちで悩みがちだったので、彼らのようにクヨクヨ考えずサッパリとしていて、かつ、誰にも縛られず自由に生きる姿が眩しかったのを覚えています。


特に強く憧れたのは、もののけ姫のアシタカです。知的な雰囲気だけど思い切りが良く、信念と覚悟に裏打ちされた深い優しさは今でも自分の指針になっています。

 

さて、そんな僕でしたが、
整体や身体の研究をするようになってから
彼らの”魅力のカラクリ”がわかりました。

 

彼らの感覚とは何なのか?
どのような指針で彼らは生きているのか?
ということが、具体的に分かったのです。

 

それは、人の魅力とは何なのか?
という問いの答えにつながりますし

 

誰もがココロの奥で求めている生き方や在り方とは何かを明確にするということにも繋がります。

 

さて、それは何でしょうか?

 

 

感覚を生きるとは、自分の内側にある「快を選択する」ということ

感覚的に生きる、ということは、とりも直さず、自分が”今感じている感覚”に気づき、大切にするということです。

 

それは、不快を避け、快を選択する、ということ。

 

これは、生命として当たり前のことですが

こんな風に言語化すると、「不謹慎だ」「そんなことには限界がある」

という思考がわいてくるかもしれません。

人によっては不快にすら感じるかもしれませんね。

 

ですが、人はそこに輝きを感じるからこそ、憧れ、魅力を感じ、同時に反発心を抱きます。

男と女が惹かれ合うように、人は間逆な性質を持つものに惹かれるもの。

(感覚的で破天荒な人は、堅実で自分がある人に惹かれるかもしれません)

世の中にはそういうストーリが溢れています。

 

さらに言えば、人は本質的に自分と真逆のものを秘めているのですが、それを現実の生活の中で発揮する事は中々難しいもの。

でも自分にも同じものがあるからこそ、それを存分に表現している人を見ると、悔しかったり、反感を感じるわけです。

 

憧れ、羨ましさ、歯がゆさ、悔しさ、美しさ、清々しさ。

 

言葉に変換できないほどの

微粒子のような複雑な感情の入り混じった感覚が

その人に投影されて、不思議な魅力として映るのです。

しかし同時にそれは自分自身の可能性を表しているということでもあります。

 

 

心地よさに生きること

「快」とは読んで字のごとく身体の感覚です。

感覚を指針に生きる人は、自分の心の動きや身体の感覚に敏感で

それが物事の判断や選択の大切な材料になっています。

人とのコミュニケーションや何かの選択の折に、内側に湧き上がる感覚

─ワクワク、喜び、違和感、不快感─

といったものを見逃さずに感じ

それに沿って言葉を紡ぎ、選択を行うということです。

 

「自分を生きる」とは、社会のルールや他者の目(客観視点)を主軸に生きるのではなく、自分の内側に湧き上がる感覚を主軸に生きることを言います。

 

それにそぐわない時は、あっさりと選択を変えたり、今まで大切にしていたものを手放してでも次へと向かう。

 

思考と論理性に生きる人達からすると、理解不能でミステリアスな魅力に感じられるかもしれませんが、実は本人の中ではれっきとした必然性があるのです。

 

 

感覚と天才性の関わり

漫画や映画のヒーローやヒロインには天才的イメージもついて回りますが、それは論理的に説明することができます。

天才性とは、固有の才能を発揮する、ということ。

これは自分を大切に生きる人に、必然的に発現する一つの現象です。

 

身体における感覚とは何でしょうか?

それは、神経の反応です。

 

感覚は全身の神経回路で感じています。

神経とは機械で例えるなら”センサー”です。

または高精度の有機的アンテナとも言えるでしょう。

 

アンテナとセンサーは情報を受信し伝達するものであるという事が共通しています。

 

そして脳は、その神経細胞の塊です。

感覚が生きている人は、全体のセンサーが活性化している状態です。

つまり頭だけでなく、カラダ全体が広義の脳であり

全身全霊で情報処理をし、思考しているということができます。

 

実際に、人の全ての細胞は思考をしているという事が科学でも分かっています。

(注)言語的思考ではありません)

 

 

「快」を意識することで、色々な事がうまく回り出す。

「快」つまり心地よさの感覚は、カラダとココロ全体を繋げて生きるための指針であり、生命のコアのエネルギーでもあります。

「快」を人生の指針に取り入れると、人生がうまく回り出します。

 

一括りに人生と言っても、いろいろな人生があります。

他者のために生きる人生
社会の歯車として生きる人生
自らの欲求を満たす為に生きる人生

など色々です。

 

快によって良くなるのは
「本来の自分を生きる人生」のこと。

 

感覚を意識していると
感じ方が変わるから、考え方も変わります。
価値観が大きく変化することで
選択基準が変わり、
付き合う人、出会う人も変わります。

 

これは、自身の実感として思うことですが、自分の心を置き去りに我慢して生きてきた人ほど、昨日までとは違う人生になるはずです。

 

感覚を人生の大切な指針に据えることは、新しい生き方を始めるようなものと言って過言ではありません。

 

それは真新しく、喜びに満ちた人生への入口になる事と思います。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

オンライン専門のボディーワーカー/身体研究家。20代の頃、自己肯定感の低さから鬱病に。さらにアダルトチルドレンも発覚。自分の出来の悪さを呪い苦しんだが、才能は身体感覚から開けるのではないか?と氣付き、探求し、うつ病とACを自ら克服。様々な場面で独自の感性とクリエィティビティを発揮できるようになる。整体師時代に、独自のセラピーメソッドを確立しそれを身体開発/自己啓発メソッドに昇華。「あたらしい心とからだの使い方」にて伝えている。代表コンテンツは、唯一無二の「蝶形骨の使い方メソッド」著書:ありがとうございますはZEROのことば(Galaxy Books)