・「恐れ」の記憶は10代先の子孫まで遺伝するそう。
⇨マウスを使った実験で検証されています。
・日本人は「恐れ」が多い。
恐れには大きく三つあります。
- 「愛されない恐れ」
- 「無価値への恐れ」
- 「孤独への恐れ」
では、この三つの恐れの根っこはなんなのか?
より存在の根本の視点から見ると、
「人と重なれないことへの恐れ」であると思います。
和多志(わたし)たちそれぞれの持つ宇宙は、人と重なり合い、観測し、観測されること(「君の名は」で言う所の”結び”)で、存在しています。(量子力学では物質は観測されることによって形を持つ事がわかっている。)
つまり、誰にも「観測されない」「記憶されない」事で、
「この世界から自分が消えてしまうのではないか?」という思い。
③孤独への恐れ が①②の素、より根源的と言えるでしょう。
自分の存在が消滅することは──ありえないのだけれど──
だからこそ得体の知れない恐ろしさがある。
日本人に恐れが多いのは、第二次大戦後、欧米スタイルの、孤立社会となってしまったためだろうと思うのです。
田畑を離れ、都会化、発展成長により、土との触れ合い、自然への信仰、共存も失ってしまうと、生き物としてはリアルに孤独になってしまった。かつては地域ぐるみで治水や家の建て替えや開梱、子育て、まで、生まれた家族の垣根なく暮らしていた「和」の日本文化から離れすぎたのでしょう。
日本人には特にこの欧米型生活スタイルが向いていません。
しかし、ぼくたちは孤独なのでしょうか?
人は一人では生きられないし、存在しているということは、一人で生きていない。
愛がないのでしょうか?
愛は外から与えられるものではなく、内側から湧いてくるもので、湧いてきたそれが現象化し、
あたかも外から与えられた風に観えているもの。
和多志が誰かを観測するだけで、和多志は自らを生かし、あなたを生かしてもいる。
だから、生きていることが、アイだ。
だから、生きているだけで、いい。
ぼくは本当に、それでいいと想っているんです。
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