人をつなぐ。
旅をする前、今までもそれがテーマであった氣がしています。
2011の震災の年、僕の人生を変える出会いがあり、それを強く意識するようになりました。
人を繋ぐ 人が繋がる 「場」
家を開き、もちよりご飯会を催すと、色々な方面から沢山の人が遊びにやってきてくれて、そこで初対面の方同士が出会う。
新たに交流が生まれ、氣があった人同士は、もしかすると一生の付き合いになることもあるかもしれない。
そのきっかけで、パートナーができたり、人生を変えるような言葉と出会ったり。
子どもが出来たり、新たな人生の展開が生まれることもあるかも知れない。
そして、そうした様子を実際に見てきました。
特別な事ではなく、誰かが誰かの為に何かをしてあげた のでもなく、
なんらかの想いから創られた『場』があって
そこに自然に意識が向いて、集まった人たちが交流して、関係性が紡がれてゆく。
人生が紡がれてゆく。
長年の付き合いがあり、関係性の出来上がったような二人でも
初対面の人が入り、新しい視点で二人を観測する事で、関係性が変わる事もある。
互いを改めて見直すキッカケになったり
悪くなっていた夫婦仲が良くなったり、あるいは別れたりもする。
そうして 人と人との間に、何が起こるかは、誰にも予測が出来ません。
自分という存在
自分が一番良く良く知っているようでいて、実は一番わからないもの。
新たな環境(場)に飛び込めば、また違う自分が見えてきたり。
今までに無かったチカラが湧いてきたり。
私たちは、「関係性」として存在している
僕たちはこの世界に、独立した「点」として存在しているのではなく、
点と点を繋いだ線であり、その交わり合い、紡ぎあいの「場」として存在しています。
だから全部、人と人との関わりによって、変化してゆく。
そういう視点から観ると、自分の可能性に制限なんて設けなくていいんです。
自分の力は、自分一人の力に依るものでは無いからですね。
「個」というものは、あるようで、無いようです。
「可能性」は自力では無い
人に会い、存在を認識しあうと、もう交わりが始まっている。
あとは、無理をせず、「場」が自分から引き出す何かを
引き出されるままに出して、ただ、在る。
「”場”が求めるはたらきを秘めている事」
それが「自分の可能性」では無いかと思うのです。
そこにマインド=我(努力、根性、忍耐)が入り込むと、場が歪みます。
僕の旅の目的の一つとして、ご縁を繋ぐ、人を繋ぐ、という事がありますが
人を繋ぐ というより、僕がその場に関わる それだけで良いのだなと思いました。
写真:虹のネ農園の出店イベントにて。試食のみかんを「全部食べていいよ」と言ったら、こどもたちが集まってきました。そんな事でも新しい場が!
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