丹田とは?下腹部とアイデンティティと日本人の精神性。

記事の長さ*この記事はちょっとだけじっくり読む内容です

丹田てなに?どこにある?

 

丹田(たんでん)とは、「身体意識」の一つです。臓器など、実在する臓器や組織ではなく、「中心軸」のように、身体を動かす時に一つのガイド、基準となる感覚の事と言ったら良いでしょうか。

臍下三寸(おへその三寸下)にあるということで、《臍下丹田》(せいかたんでん)とも呼ばれます。折り曲げた人差し指の1,2関節の間の長さが一寸。おへそからそれを3つ分下のポイント。そのポイントを頂点としてその奥に体感される«身体意識»の事をいいます。


《丹田》部分を指で押してみましょう。下腹の中でも一番弾力があるはずです。この部分は硬すぎると力み過ぎ、柔らか過ぎると氣が抜けています。

ゴムボールのように、弾力があるのがベスト。

日本は丹田=肚(ハラ)を大切にする文化です。

日本の慣用句の中にその精神が見られます。
「腹が立つ」「腹黒い」「腹積もり」「腑に落ちる」「腹を割って話す」「腹に据えかねる」「腹におさめる」 

など​など、

まるで「我々はお腹で思考しているのだ」とでも言っているように扱われています。まさに肚が主役、中心という感じです。

“アイデンティティ”の座する場所

 

インディアン(ネイティブアメリカン)が頭で考えてばかりの白人を揶揄した時に「じゃあお前たちはどこで考えているんだ?」と聞かれ、「ハートを指差した」エピソードがありますが、ぼくたち日本人のご先祖は、自分の中心が頭ではなく、腹=丹田にあるという意識だったようです。

武士の切腹などは、あまりにも苦痛の大きな死にかたですが、自分の本質、自分のアイデンティティを切り裂いて死ぬという行為が、潔い、名誉の死に方と考えられたのかもしれません。ある方によると、「魂は丹田を中心として全身の細胞に宿る」という事を聞きました。魂の座を切り裂くのが、いさぎの良い切腹ということだったのでしょう。

ファッション文化に見るアイデンティティの場所

西洋の正装といえば、スーツ。日本は着物。和服です。

スーツのカッコイイ着方は「胸で着ること」厚い胸板が目立つような着方をするとシュッとしてカッコよく見えるデザインです。

重心が胸から上にあり、ウエスト部はキュッと絞ることで、重心の高さが更に強調されます。縦に長くスマートに見えます。西洋のこの「胸で着る」と言う文化は、ヒーローのポーズに象徴されます。

スーパーマン。胸を張って筋骨逞しい事が男らしさで強さの象徴であるのです。情に厚く、我が強い事(目立ちたがり)です。目立ってなんぼ、「主役と脇役」の作風。

漫画などはもっとわかりやすく、人は上半身がメイン、下半身がとても小さく描かれています。非常に重心が高いですね。

重心が高いと、エネルギーが頭の方にゆきますから、常にあれこれと考えている、計算が得意、分析、緻密なことが得意、となり、まさに西洋医学、科学を代表とした緻密で分析的、ミクロな学問にあらわれています。

近代の西洋的意識の文明の特徴である『所有意識』(所有欲、独占欲)というのは、この胸の意識に関連しているのでは無いかと考えています。

 

一方、“ハラで着る”のが和服です。

着物は《丹田》による「腹圧」お腹の圧力で帯を押し広げるようにして着ます。
丹田がしっかりしていないと、着物が回ってきてしまうのです。男性の着物は丁度丹田のあたりに帯の結び目が来ています。丹田の前で「結ぶ」事でさらに力がこもります。ふんどしも同じことで、ここで紐を結う事で、丹田に力がこもり、仙骨が上に上がります。

この写真を見て、肚(ハラ=丹田)に重心があるのがわかるでしょうか。先程のスーツとはちがって、重心が下半身にあり、どっしりと安定していますね。日本は農耕文化ですから、土に近くしゃがみ込んで作業をすることが多いです。そうすると、自然と重心が下腹部に落ちます。そういった土着的な文化が育んできたものとも言えます。自然に近いほど、重心が下がり、丹田が形成されます。

重心と精神性の関わり

 

重心が下がっていると、心は安定します。重心が高いと押されたり、躓けば簡単に倒れますが、重心が低いと倒れません。この安定感が心にダイレクトに影響しているのです。
安心しており、”氣が下がっている”ので、頭でものをごちゃごちゃと考えず、「肚の声」を主体で行動するようになります。「肚の声」とは「本音」の事です。自分が何を考えているか、よりも、《何を感じているか》の部分です。言うなれば、《命の声》に従っていると言うことができます。

自我(マインド)はアタマにあり、肚(丹田)にはありません。
日本文化の精神性の高さは、この土に育まれた「丹田重心・ハラ意識」からくる、生命の自然の体感、全ての命と等しく和するのを前提とする行動様式、生活様式、価値観 が生んだ、平・和(平らかに和する)の精神。「和」
その「輪」の中で生きている事を常に実感して重視しているからなのでは無いかと思うのです。

また日本では夜這いの風習があり、子どもの親が誰なのかわからない事もあったそうですが、村ぐるみで育てていたような大らかな文化でした。賛否両論ある話とは思いますが、男女の所有欲という概念が欧米と比べとても薄かった事がうかがい知れます。男女の関わりなどについても、江戸時代の文化風習については色々なお話がありますので、興味がある方は是非調べて見て下さい。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

オンライン専門のボディーワーカー/身体研究家。20代の頃、自己肯定感の低さから鬱病に。さらにアダルトチルドレンも発覚。自分の出来の悪さを呪い苦しんだが、才能は身体感覚から開けるのではないか?と氣付き、探求し、うつ病とACを自ら克服。様々な場面で独自の感性とクリエィティビティを発揮できるようになる。整体師時代に、独自のセラピーメソッドを確立しそれを身体開発/自己啓発メソッドに昇華。「あたらしい心とからだの使い方」にて伝えている。代表コンテンツは、唯一無二の「蝶形骨の使い方メソッド」著書:ありがとうございますはZEROのことば(Galaxy Books)